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昨日のこと

2021/03/26
観劇の感想途中なんですが、その他の事先にちょろっと書かせてください。
実は実際に行こうと思い立ったのは二週間前でしてー。
チケットは手元にあるものの、いま現在の諸事情考えたら、大声で「隣県に遊びにいってきまーす」と言えない状況だったもので…、当日までもかなり悩みました。
でも不意に下道のみ、車で行ったら何時間かかるんだろ?という素朴な疑問が沸きましてー。Google先生で高速・有料道路を使わずに設定した検索で出てきた結果は三時間強でした。那須塩原にも行けたんだし、白石に毛が生えた程度の移動距離だな。お昼やトイレ休憩を全てコンビニで済ませば行けるかも!と極力人と接触しない移動手段で参じてきました。
かつて葵咲のライビュを観に、長町に行ったことが懐かしいです。途中竹駒神社や歴史博物館の看板を目にしますが、「いけない、いけない。今日じゃないといけない場所じゃないし寄り道しない!」とふわふわと浮上する「寄り道したい」という気持ちを抑えて運転に集中しました。

慣れない道は分岐等で気をつけないとーと思う反面、やはり楽しい&面白い気持ちが勝ちまして、えー、某アウトレットってここから行けんのかーとか、某ホールももしかしたら車で行けるかも…といろんなこと考えながら運転し、当初停める予定だった駐車場が満杯で、え?じゃどこにその指定駐車場有るの?と近所に有った公共の場所で、とりあえずこれから始まる長丁場の為におにぎりほおばりながら検索したら、会場から車で数分のところに有りました。
おまけに会場利用者には二時間分駐車場無料という特典付き、ありがたや。駐車場難民にもならず、格安で四時間近く車を停められて、とても行き来のしやすい会場で有りました。
駐車場何気にナンバープレート見ると、宮城・仙台が大半を占める中、山形や平泉のも有りました。
そこまでしてこれを観たいと思わせられるのもすごいですが、皆さんの行動力もすごいなと改めて思います、自分の事はおいておいて(笑)

久々に長時間座ったので最後にはお尻痛くなりましたが、またこちらが開催会場に指定されましたらホイホイされますので、スタッフさんよしなにーという想いでいっぱいであります。


追記:遠征にはつきものの交通費なのですが。心中帰路はガソリンどこかで給油していかなきゃなーとは思ってたんですよ。ところが、行きで県越えするのにワンメーターしか減らず、隣県入ったころに2メーター目になって、これもしかしたら往復でも半分しか減らないかもーという勘は当たりまして。おまけに自分市内でも激安店で給油してるので、往復2000円程度で済んでしまったよ。改めて車の燃費の良さを実感したし、長距離移動するの苦じゃない人、マジ公共機関利用しなくなるわなーと思いましたわ。乗り物の時間気にすることないし、ホントDoor to Door。お尻と背中は多少凝りますが、そん時は途中のコンビニで休憩して、身体をほぐしながら行けば気にならない程度でした。うむ、今のところ次の予定は入っておりませんが、このくらいの距離なら大丈夫かなという場所がまた増えてまいりました(笑)
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15:45 日常のこと | コメント(0)

もう10年、まだ10年

2021/03/12
3.11。あれから10年。Twitterでお気持ちちらっと述べようかなあと思ったが、長くなりそうなのでこっち来た。
私は正確に言えば被災者だ。しかし住居が海から6キロだったのと、たまたま働いてた地域も全壊は逃れられ、火災や津波もリアルでは見ていない。全て画面越しだった。

しかし徒歩で帰宅していく最中、商店街の中の柱の無いショップ、古い瓦屋根を積んでた家屋は見るも無惨に倒壊していた。地震のパワーの凄まじさと、そして、自宅は大丈夫なんだろうか?という不安を抱かえつつ帰宅した。

あの時無免許だった自分は本当に感謝しきれない程の恩義を末妹から受けた。
それは物理的なこともそうだったが、彼女の慎重さや用意周到さという気質、それらにもかなり助けられていた。私は通帳とか現金とかは持ってきたけれど、車のシガーソケットの都合上ガラケーの充電器さえ完全に使えなくて、暫く道の駅や乾電池にお世話になってた人なので有る(--;)
まだ当時ガラケーだったからなせる技でもあった。

3月中旬にもなるのに、その当時は日照にもめぐまれず、雪が舞い、気を抜くと風邪を引いてしまいそうな陽気でもあった。
避難した時間が遅かったせいか私たち家族は、一時避難した場所にあり着くのも、次女達家族の居る二次避難所に着くのもそれなりにしんどかった。その間大変だったのは食もさることながらトイレを貸して貰える施設がほんとになくて、F市の警察所に二度もお世話になった。移動界隈全てに近い確率で、水道管が破裂、コンビニ・レンタルビデオ屋・ホームセンターさえまともに営業出来てなかったのである。

食事は買えそうな場所を見つけては寄ってみたりしていたが、震災の翌日は駄菓子や飲み物程度で腹の足しになりそうな物はことごとく駆逐されていた。そんな中ご好意で炊き出しをしてたお寺さんや、病院でおむすびや、リンゴを頂き、暫くそれで空腹を凌いだこともあった。確か3日後辺りには、道の駅で食堂も開き始め、家族でかっこんだかけ蕎麦のなんと美味しかった事!
その頃からホームセンターでも惣菜が買えるようになり、レンジで温めて食べたのも凄く美味しかったな。

人間ってと一括りにしちゃ悪いけど、空腹が満たされ、かつそれが温かい物だったりすると、なんとかなりそじゃね?生きていけそじゃね?と思うんだな。特に自分みたいな人は。

私たち家族が寄った場所は運良く、電気、ガス、水道も数日中に復活して、ひもじい思いもせず、三人の姉妹+妹家族(多い時は4人)総勢7名で、当時この後自分達はどうしたら良いんだろうと何度も話し合いながら生きてきた。馴れ合いが苦手な自分でも、ディスカッションしてるうちに知らない知識や思考にも触れられて、改めて自分の幼さ、偏屈さを痛感したのも良い経験の一つだと思う。
(必要以上に長くなったのでここで一度中断しますね)

10年目になってようやく津波の動画とかも客観的に観れるようになってきた。相も変わらず水の恐ろしさは変わらないけれど。
被害を最小限に食い止めることはできるんじゃないかと思う。
二月に有った震度6クラスの地震に改めてその怖さを痛感したし、その災害がいつ来るかわからない地に暮らしてるということを自覚していかなきゃなーと思った節目の年でした。










00:06 日常のこと | コメント(0)

明けましたね

2021/01/31
こんにちはー。前回からまた三か月ほど空いてしまいました。
あれからまた一喜一憂する事が多々あり、それでもそれに面していく所存なのですが、観たかった舞台のチケットが二枚ほど払い戻しになり、先日締め切りも有ることだし-と返金作業してきました。

何度もどこでもドアがあればーと思ったことか。
あと関東住みならちょっとは状況良くなったのかとかー。
会場とか、そこに集う同士に対してさほど怖さはないのだが、いかんせん移動が怖かった。
あれから一年、食材の買い物などを除いて出かけたところといえば、映画館数回と、サービスエリア程度だったからなー。密度差が全然違う。
それでも全日配信が有ったってのは最大の救いで、予定を合わせて計6本ほど観れました。
中には17:00から三時間もモニターの前に居れない人もいるでしょう。その点自分は本当に恵まれてると思います。

ライブ会場や舞台会場に足繁く通ってる方なら、生で観れる、同じ空間に居れるなどの高揚感は察してもらえるかと思います。
ワクチン接種もこのままだと今年度後半になりそうだしなー。
いつそんな不安を持たず、チケット取得&ライブや観劇に行けるのかなーと黄昏てしまった一月の私でした。
14:51 日常のこと | コメント(0)

生存確認

2020/10/19
こんにちは、もしくはこんばんは。

生きてます、いや、個人的にいろいろ有りすぎてここの存在も忘れかけてたんですが、たまたまTwitterで地元の遺跡の話が上がり、近場の友人たちと伊達関連の遺跡を再度廻ろうということになりまして、片倉坦、麓山神社、高倉城、日吉神社を再度ぐぐってたら、「あ、馬鹿じゃね。自分もブログにのっけてましたね」と改めて写真やら文面を見返してみたら、「あらあら結構真面目に書いてるじゃん数年前の自分」と感心したり。

まあ、まっさらで巡ってたときと違った感じで観れることがまた楽しみでもあり。
ただ、移動とか駐車の関連でロスしたくないので、下準備はめっちゃしていきたいと思います。
まだ二週間ほど余裕あるので、髪の毛位はなんとかせねばな。
23:36 日常のこと | コメント(0)

あれから

2019/04/11
三週間強経ちました。
今思うと、辞める一週間前はホントにしんどかったな。
やめてからも二週間くらいは、シフト管理用に登録したメルアドに届く会社からのメールに敏感で、今はだいぶ精神的に良くなった。
しかし自分の事も周りの事も落ち着いて考えられるようになると、今の現状にあかんとも思うし、予定をキャンセルせず行うには、もう少しプーで居るべきか・・・など左右に振れて身動き取れない。

平成もあと三週間弱になって、ここんところ訃報が立て続けに続いてる。それも若い方もちらほらと居られて。平均寿命の半分に満たない方が亡くなられるのはホントに辛いな。
さっき何のつながりも無かった方のブログを読んで、ぼろぼろ泣いてしまった。
90を切ったパルスオキシメータが亡くなる前数日前のブログに載っていた。
それだけで、この方がどんだけ重篤か判る。

父の入院中それは頻繁に見られたもので、大部屋にいた時はそれでも92、3有った値が、個室に移ってからあっという間に80代になり、それを上げる力が父にはもう残ってないのだと悟った。

しかしアレだよねー。母は大腸(直腸)癌、父は肺系で、男女でトップの要因じゃん。
自分もホントに用心しなきゃ。
せめて母の生きた年齢よりは長生きしたいのでー。
01:30 日常のこと | コメント(0)
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