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高倉城址(現鹿島神社)

元を正せば、こちらの城址は福原館の神社と勘違いして見つけてしまった場所。薄々ここじゃないよなーと思いつつ、巡ってきて車に戻り再度調べたら、やはり違って愕然としました(笑)。ま、順序が違ったと思うことにしました。しかしこういう遺構の入り口ってほんと判り辛い、駐車場が無い。後で、お寺の駐車場に停まらせて頂けば良いと判ったのは後の祭り。しかたなく、町の健康診断で見知っていた、農業センターの駐車場に置かせて頂き、北上しました。
参ったのは九月二十日前後だったのですが、ちょっと歩くと汗ばむような陽気&人の姿皆無の街道を一人歩くのは少々しんどかったです。

高倉城は築城は不明。畠山満泰の嫡孫、近江守政泰が、伯父との家督争いに敗れ移った城と謂われています。
その後近江守は、高倉畠山氏として、二本松畠山氏とは対立関係を続けながら独立を保っていましたが、田村清興の安積侵攻により、近江守は田村氏の支配下に置かれる。その後田村氏の支配下から離脱。しかし、それにより田村勢から攻撃を受ける。
伊達の二本松攻略の際に、伊達側に加担し、支城として、この高倉城を提供する。その際に、伊達側からは、伊東肥前、富塚近江、桑折治部が入城している。その後の奥州仕置きにより、安積方面は蒲生氏に宛がわれ、氏詮は伊達領に移される。

高倉城址1(現鹿島神社)高倉城址2(現鹿島神社)高倉城址3(現鹿島神社)高倉城址4(現鹿島神社)高倉城址5(現鹿島神社)高倉城址6(現鹿島神社)高倉城址7(現鹿島神社)高倉城址8(現鹿島神社)高倉城址9(現鹿島神社)高倉城址10(現鹿島神社)高倉城址11(現鹿島神社)高倉城址12(現鹿島神社)高倉城址13(現鹿島神社)高倉城址14(現鹿島神社)

私は今回西手の鳥居側から入ったのですが、東手の方から入る入り口もあるそうなんで、再チャレンジしてみたいと思います。










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