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築城年不明。最初は藤原系の田村氏が居城としていた。後小山義政の乱の際、義政の遺児を保護した田村氏は鎌倉公方方に敗れ衰退し、平姓田村氏の居城となった。その後、蒲生氏の家臣・田丸氏→上杉家臣・本庄氏・竹俣氏らが城主となり元和の一国一城令によって廃城となった。

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撮影時は、小十郎坦や、麓山神社を参った日と同日。これらがあまりに住居から近かった為、もう一個攻めたい!と矢が刺さった場所。ここも麓山神社と同じく、入り口に迷い、二三回国道を往復している。入ったら、ホント小学校の横で、ほんわかしてしまった。賽銭箱の家紋が見たことない紋だったので、気になってパソでググったら、水戸藩の松平氏の物だった事が判明。
ちなみに神社の位置が本丸のあった場所で、手前が二の丸、小学校のある場所が三の丸のあった場所と言われています。

守山城址1守山城址2守山城址3守山城址4守山城址5守山城址6守山城址7守山城址8守山城址9守山城址10守山城址11










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